こんにちは!町田です。
今回は小説ですね。
今回はサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」でいってみましょう。
もちろんホールデン・コールフィールドのセリフをとりあげてみますが、
僕がこの小説を好きな理由として、ホールデンの内面的な部分に、つい
共感してしまいます。出だしがたしか療養中の身で、どんなどたばたで
こうなって病んでいったか・・・みたいなとこから始まります。
ただ語り口がとてもライトでユーモアもある。でもどんどん落っこちて
いっちゃう感じ。ホールデン自身が「you」をよくつかって語りかけていますが
この「you」はホールデンと読者の中間くらいに語りかけてる感じです。
こうやって書くとよくわからないと思いますが、そのへんが病んでいってしまう
キーポイントなんではないでしょうか。
ある小説家が言ってましたが、この小説が読み続けられてきたのは、この物語
が読者の内面の「鏡」みたいに作用している~みたいな事を言っていた気が
しますが、その通りだと思います。つまり僕の内面性はホールデンと通じるものが
たくさんあるので、共感ってわけですね。
妹のフィービーとの会話から。(フィービーはイノセントでかわいいキャラ!)
「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい
集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人
もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいな
のは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っ
ぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ち
そうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで
崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっと
「キャッチ」するんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、
僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が
心からなりたいと思うのはそのくらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんでけどね」
おわり